建 長 寺 の 略 年 譜
創 建 … 創建には、ニ説ある。 …
- (その一)…「吾妻鏡」説
- 建長3年(1251)11月8日、事始あり。
- 建長5年(1253)11月5日、建長寺供養が行われた。
- (そのニ)…「聖一国師円爾年譜」(鉄牛円心編)による」説
- 建長元年(1249)11月21日地鎮のため京都東福寺の僧を鎌倉に派遣する… 記録
建長元年に場所を定め、房舎を建てて大覚禅師が住み、建長寺の創建となったが、
伽藍の建立は、3年に事始めを行い、5年に落慶供養が行われた。
と考えれば、両説はともに矛盾しない。
推 移
- 建保元年(1213年)5月、「和田義盛の乱」のあと、論功行賞で、山ノ内荘が北條義時の所領となる。
- 泰時;常楽寺、時頼;建長寺(最明寺)、時宗;円覚寺、師時;浄智寺、覚山尼;東慶寺等々を建立している。
- 弘安元年(1278年)、蘭渓道隆亡くなる。西来庵の後山に葬られる。 (墓石は卵塔の祖)
- 弘安2年(1279年)8月、宋の無学祖元、建長寺にいる。弘安9年(1286年)没、塔頭は正続庵。
- 建武2年(1335年)、夢想国師が、後醍醐天皇の勅命により、円覚寺舎利殿の背後の山に無学の墓を移す。
災 害 と 復 興
- 永仁元年(1293年)4月、大地震により、堂舎が倒壊炎上する(鎌倉中死者23,024人)。《「醍醐寺日記」》。
- 正和4年(1315年)、市内の大火が飛火して堂塔等を焼失。
- 翌正和5年4月〜仏殿が建て始まる。
- 元亨3年(1323年)10月、覚海円成(貞時夫人)の願いで「三重塔の華厳塔」が造営される。
- 正中2年(1325年)7月、建長寺造営のため、「造建長寺唐船」を運航する。
- 元弘3年(1333年)5月、新田義貞が鎌倉に討入り、幕府、北条氏は滅亡する。
- 建長寺の住持・衆僧は北條高時の百箇日の法要を行う。
- 応安6年(1373年)春、西来庵炎上。
- 至徳3年(1386年)、足利義満、京・鎌倉の五山の制を定める、建長寺は鎌倉五山第一位に列せられる。
- 応安(1368〜74年)、建長寺の大覚派と円覚寺の仏光派の紛争が続く。
- 応永21年(1414年)12月、建長寺門前の民家から出火し、建長寺の全山を焼失(正続庵のみを残し)する。
- 応永33年(1426年)、火災あり、…永享7年(1435年)、に三門事始めが行われている。
- 応永23年(1426年)8月23日、炎上。
- 天文9年(1540年)某日、大風により、総門・正統庵・宝泉庵・向上案など倒壊。
- 寛正元年(1460年)某月、炎上。
- 天正19年(1591年)、徳川家康は、建長寺に約400石を寺領として寄進した。
- 正保4年(1647年)9月、芝増上寺より徳川秀忠夫人の霊屋等譲り受け、仏殿・唐門・西来門を再興する。
- 建長寺船を元に派遣する。
現 存 の 建 物 等
- 延宝6年(1678年)11月、徳川光圀建長寺境内絵図(現存)を寄進する。
- 享保20年(1735年)5月、伽羅陀山地蔵堂、火災。
- 安永4年(1775年)6月、万拙碩誼の尽力によった、三門(現存)再建上棟。、十六羅漢(現存)も再興される。
- 文化11年(1814年)10月、法堂(現存)再建上棟。
- 文久3年(1863年)5月、五百羅漢像が完成し、入仏供養を執行。
- 明治23年(1890年)5月、静岡県奥山方広寺より、半僧坊権現を勧請し鎮守とす。。
- 大正12年(1923年)9月、関東大震災により、伽藍被災する。
- 昭和15年(1940年)、総門(天明3年建立)・方丈(享保17年建立)を京都般舟三味院より移建する。