『 吾 妻 鏡 』 に お け る 源 平 池 の 記  述


『吾妻鏡』における記述は・・・


《 養和2年(1182年)4月24日 甲子 の条 》
     鶴岳若宮の邊の水田  (絃巻田つるまきたと号す)三町餘、 耕作の儀をとどめられ、池に改めらる。
     専光(良暹)・景義(大庭)等これを奉行す。



《文説》

  「源平池」は、源 頼朝 が 鎌倉に入って、鶴岡八幡宮を此の地に遷してから一年余を経てからである。
  池を造る以前は、このあたりは  水 田 絃 巻 田 つるまきたと呼ばれていた。
  弦巻田という水田三万平方米を掘り起こして蓮池としたのである。
   弦巻田 とあるのは、往時、この一帯が、湿地帯で鶴が居て稲を播いた(落とした)とこるで、
  ツルは吉祥を意味し、又神の宿る場所、神様に献ずる稲を播く田であり、又武将が弓弦を外した
  ところである等と言われている。

  池の中央に 「赤 橋」 が架けられたのは、翌年の1183年4月のことである。
  また 「源平池」の名は江戸時代からの俗称である。

 源平池は、太鼓橋を境に東池には三つの島と源氏の白旗を偲ばせる白色の蓮花が、西池には四つの島と

    平家の赤旗を連想される赤色の蓮花が観られ、東池を「源氏池」、西池を「平家池」と呼ぶようになった。
    (現在は白蓮が多く東西の池に咲き、赤蓮がところどころに白蓮に混じって咲き、池の趣を添えている)
    又東池の三つの島は「産」で、生まれる生命を意味し、西池の四つの島は、「死」で生命の消滅を意味する
    と言う方もいる。