鉄 井 (kurogane-well) の 歴 史
- 扇ケ谷に北条政子、「新清水寺」を創建する。《創建年代 未詳》
鎌倉屈指の霊場であった。
場所は清水寺谷・浄光明寺 前なり 《「鎌倉…第三巻・第一号」(昭和12年発行)中・亀田輝時 記》
鉄観音堂…「新清水寺 廃寺ナリ ノ 本尊ナリシと云伝フ」
鶴岡少別当 大庭元長トある。
其の位置は「堂前ノ井 鉄井 ト呼ブ 是ナリ」 《風土記稿》
- 正嘉二年一月十七日、安達安盛の甘縄邸・寿福寺などと共に、此の大火で焼失し、「新清水寺」廃寺となる。
何時の時代からは不明であるが、明治六年迄、 鉄観音堂に安置されていた。《新編鎌倉誌》
- 明治元年三月、 神仏分離の法令が布告される。 この首像も鎌倉八幡宮所有と誤認され、破棄されようとなる。
- 明治六年、 石田可村 山村卯助 の 両人が由比ガ浜より船で 深川御船蔵前の河岸に搬出陸揚げする。
- 明治九年、 人形町通り 蛎殻町二丁目 に仮堂 設置。
- 明治十三年二月、 大悲閣を建立。
- 大正十二年、 大正大震災にて、灰燼となる。
- 昭和十五年十月十七日、 人形町・大観寺に堂容を再構築し安置した。
- 昭和四十七年四月、東京都文化財に指定される。