・・・畠 山 重 忠 (hatakeyama-shigetada) 略 年 譜 ・・・
西 暦 元 号 数え年 事     柄
1164 長寛2年 畠 山 重 忠 誕生する。
父;畠山重能、母は三浦義明の女、幼名氏王丸。
1180 治承4年 17 〇8月24日、重忠、河越重頼・江戸重長らと三浦衣笠城を攻撃。
〇10月 4日、重忠、長井の渡しで頼朝に参会。

〇10月 6日、頼朝、相模国に着く、重忠先陣を勤む。
〇12月12日、頼朝、大倉館にいる。重忠、最末に候す。
1181 治承5年 18 〇 7月20日、鶴岡若宮社殿上棟に際し、工匠の録の馬の引手となり、
  義経の下手を勤む。
1182 養和2年 19 〇 8月13日、頼家誕生に付き、護刀を献ず。
1184 元暦元年 21 〇 正月20日、宇治川の合戦に重忠、丹党以下500騎で可をを押渡す。
〇         義経に従い義仲と争う。
〇 2月 5日、一谷攻撃の大手の大将軍源 範頼に従う。
1185 文治元年 22 〇 正月17日、大物の浦にて逆櫓の議論あり、
〇         義経決死の船出に従う。重忠、二番の船に乗る。
〇 10月24日、勝長寿院供養、重忠、随兵の先頭となる。
1186 文治2年 23 〇 4月 7日、静御前、鶴岡回廊に舞う。重忠、銅拍子をうつ。
1187 文治3年 24 〇 8月 9日、鶴岡に馬場を造る。頼朝、臨む。重忠ら、群参。
〇 9月27日、重忠、沼田御厨のことにより、囚人として千葉胤正に預けら
        れる。所領4ケ所を没収される。
〇10月 4日、胤正の取成しにより許される。直ちに武蔵国に帰る。
〇11月15日、胤正の取成しにより許される。直ちに武蔵国に帰る。