伊豫の守義経を誅すべきの事、日来群議を凝らさる。而るに今土佐房昌俊を遣わさる。 この追討の事、人々多く以て辞退の気有るの処、昌俊進んで領状を申すの間、殊に御 感の仰せを蒙る。 すでに進発の期に及び、御前に参り、老母並びに嬰児等下野の国に在り。 憐愍を加えしめ御うべきの由これを申す。二品殊に諾し仰せらる。 仍って下野 の国中泉庄を賜うと。 昌俊八十三騎の軍勢を相具す。三上の彌六家季(昌俊弟)、錦織の三郎・門眞の太郎・藍澤の二郎以下と。 行程九箇日たるべきの由定めらると。 土左房昌俊、先日関東の厳命を含むに依って、 水尾谷の十郎已下六十余騎の軍士を相 具し伊豫大夫判官義経の六条室町亭を襲う。 時に豫州方の壮士等、西河の辺に逍遙 するの間、残留する所の家人幾ばくならずと雖も、 佐藤四郎兵衛の尉忠信等を相具し、自ら門戸を開き、懸け出て責め戦う。 行家この事を伝え聞き、後面より来たり加わり、相共に防戦す。 仍って小時昌俊退散す。 豫州の家人等、豫州の命を蒙り則ち仙洞に馳 参す。 無為の由を奏すと。 土佐房昌俊並びに伴党二人、鞍馬山の奥より、豫州の家人等これを求め獲る。 今日六 條河原に於いて梟首すと。 |