関取場跡 (sekitoriba-ato)の石碑文の説明
☆ 関取場跡の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・
この地を土地の人は俗に「せきば」といっているが、昔は「関取場」と
呼んでいた という。
天文十七年(1548年)、北条氏はこの地に関所を設け、関銭を取り立て、
それを荏柄天神社造営の費用にあてさせた。
その
掟書
おきてがき
の文書は、今も荏柄天神社に保存されている。
昭和 六年三月 建之
鎌倉町青年団
荏柄天神社に伝わる古文書によると …
ここを通る 商人や参詣人から取る関銭(通行権)は次のように定めてあった。
『 麻、紙、布類の荷は 十文。
乾物類を積んだ馬は 五文。
背負荷は 三文。…
他国から西に上る馬や飛脚は、それぞれに見合わせて関銭をとる。
但し、
単に往来する庶民や僧、里人からは関銭を取ってはならない。… 』