勝長寿院(CHIUTIUZYUIN-KIUSEKI)の石碑文の説明


☆ 勝長寿院の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

  「勝長寿院」は文治二年(1186年)、源 頼朝が亡き父の義朝を祀るために建立した院である。
  別名 「南御堂」又は「大御堂」とも言っている

   此の地を「大御堂が谷」と言っているのはこのことに由来する。
  実朝及び政子も此の地に葬られたと伝えられているが、この二方の墓地は、現在扇ケ谷にある。


          大正六年三月 建之
                                     鎌 倉 町 青 年 会





【浄楽寺】(横須賀市芦名2433)との関係



浄楽寺は文治5年(1190年)2月2日頼朝の祈願所として
 和田義盛が建立したという。
 寺伝では、古く「大御堂勝長寿院」と称し、建治元年(1275年)の
 台風で堂舎が破損したため現在地に移建されたという。
浄楽寺の本堂に「勝長寿院」の扁額が架けられている。

 浄楽寺に現存する『木造阿弥陀如来像』は、
 もと鎌倉・勝長寿院の仏像であった可能性もある。
   浄 楽 寺 の 本 堂 の 扁 額 


木造 阿弥陀如来坐像と両脇侍像
 (姿勢菩薩像・観音菩薩像)  …重要文化財…
          鎌倉時代(文治5年(1189)) 運慶作  

                       (浄楽寺本堂裏の収蔵庫に安置されている。)
    姿勢菩薩像          阿弥陀如来坐像       観音菩薩像

  像高176.7a、檜材、寄木造り、
 肉身部 金泥塗・衣部漆箔、彫眼の
 彫りである。
 金箔色彩等は天保8年(1837)に加え
 られたことが、納入札銘からわかる。
  和田義盛の発願により、文治5年(1189年)に運慶が、
  小仏師10人を従えて制作した。

 像高141a、檜材、寄木造り、肉身部 金泥塗・衣部漆箔、
 彫眼、来迎印を結び、 左足を外に結跏趺坐する通形の半丈
 六像である。 金箔や彩色等は江戸時代のものである。
  丸い顔付と胸の厚い体□をもつた。量感のある彫刻である。
 螺髪は粒が小さいが丈が高く、眉は弧線が長く、 唇の曲線は
 アクセントが強い。耳は、耳穴の彫りが普通より著しく深い。
 肥満した体□をつつ納衣は皺数が多く 曲線が複雑に乱れて
 いるところに特徴がある。

  像高178.5a、檜材、寄木造り、
 肉身部 金泥塗・衣部漆箔、彫眼の
 彫りである。
 金箔色彩等は天保8年(1837)に加え
 られたことが、納入札銘からわかる。
【阿弥陀三尊像】は 出展;「鎌倉時代の彫刻」(東京国立博物館 編集・発行)による