「勝長寿院」は文治二年(1186年)、源 頼朝が亡き父の義朝を祀るために建立した院である。 別名 「南御堂」又は「大御堂」とも言っている 此の地を「大御堂が谷」と言っているのはこのことに由来する。 実朝及び政子も此の地に葬られたと伝えられているが、この二方の墓地は、現在扇ケ谷にある。 大正六年三月 建之 鎌 倉 町 青 年 会 |
和田義盛が建立したという。 寺伝では、古く「大御堂勝長寿院」と称し、建治元年(1275年)の 台風で堂舎が破損したため現在地に移建されたという。 浄楽寺に現存する『木造阿弥陀如来像』は、 もと鎌倉・勝長寿院の仏像であった可能性もある。 |
浄 楽 寺 の 本 堂 の 扁 額 |
姿勢菩薩像 | 阿弥陀如来坐像 | 観音菩薩像 |
像高176.7a、檜材、寄木造り、 肉身部 金泥塗・衣部漆箔、彫眼の 彫りである。 金箔色彩等は天保8年(1837)に加え られたことが、納入札銘からわかる。 |
和田義盛の発願により、文治5年(1189年)に運慶が、 小仏師10人を従えて制作した。 像高141a、檜材、寄木造り、肉身部 金泥塗・衣部漆箔、 彫眼、来迎印を結び、 左足を外に結跏趺坐する通形の半丈 六像である。 金箔や彩色等は江戸時代のものである。 丸い顔付と胸の厚い体□をもつた。量感のある彫刻である。 螺髪は粒が小さいが丈が高く、眉は弧線が長く、 唇の曲線は アクセントが強い。耳は、耳穴の彫りが普通より著しく深い。 肥満した体□をつつ納衣は皺数が多く 曲線が複雑に乱れて いるところに特徴がある。 |
像高178.5a、檜材、寄木造り、 肉身部 金泥塗・衣部漆箔、彫眼の 彫りである。 金箔色彩等は天保8年(1837)に加え られたことが、納入札銘からわかる。 |
【阿弥陀三尊像】は 出展;「鎌倉時代の彫刻」(東京国立博物館 編集・発行)による |