荏柄天神(Egaratenjin-Sya) の 歴 史
荏柄天神の歴史
- 鎌倉の天神様、荏柄天神社の勧請年は不詳である。
- 社殿によると…長治元年(1104年)8月、忿怒相の菅原道真画像が雷雨とともに「えごま畑」に光を発しながら
- 降ってきたので、この荏柄天神社を創建いた と言う
- (注) 「えごま」とは「荏」というシソ科の薬用植物のこと、
- 奈良時代この辺り一体を「荏草郷」と言う地名であった。 … 《新編相模風土記稿》 …
- 源 頼朝は、鎌倉に居を構えるにあたり、鬼門(丑寅の方角)の方向に荏柄天神社が位置する場所を選んでいる。
- 天神社は守護神として崇拝されてきた。
- 天神社に歌の上達を願う習慣があり、詩歌を奉納することで、冤罪をはらしてくれると言う信仰がある。
- 建保元年(1213年)2月、北條氏打倒のクウデターの罪で捕らえられた 渋川刑部六郎兼守は、
- 斬首の刑を言い渡された。
- 兼守は今生の別れを託し、荏柄天神社に歌を奉納した。
- これを伝え聞いた歌人・源 実朝は、いたく感動して兼守を赦免したと言う。
- 現在、荏柄天神社は「学問の神様」として、紅梅、白梅の咲く春先は合格祈願の受験生で賑ぎあう。