永安寺 (youan-ji) の 略 年 譜
記 録 ( そ の 一 )
- 応永九年(1402年)
- 「黄梅院造営規式」(黄梅院文書『史料編』3−42)
- 当寺の一元啓諸が署名している。
- 永享四年(1432年)
- 「黄梅院中居方下行定書」(黄梅院文書『史料編』3−60)
- 中義という人が署名している。
記 録 ( そ の 二 )
- 応永12年(1405年)
- この年に寂した絶海中津の詩集『蕪堅稿』に「拝永安塔」とある。
- この塔は「祖塔」の意味と考えられる。『関東合戦記』によると当寺には長春院(持氏の塔所)・早雲庵等の塔頭があった。
- 応永31年(1424年)
- 持氏の弟・満貞が鎌倉に参って当寺に寓宿している(『鎌倉大草紙』)
- 永享元年(1429年)2月
- 大楽寺と共に炎上している。(『鎌倉九代後記』)
- 永享10年(1438年)
- 持氏は満貞と共に幕府に対して兵を挙げ
- 翌永享11年(1439年)両人とも当寺で自殺している。