一覧亭旧跡(itchiran-tei-kiuseki) の歴史
瑞泉院の開創
- 嘉暦元年(1326年)
- 夢窓疎石(国師)(51歳)は南禅寺を退院し鎌倉に戻り、永福寺の傍らに南芳庵を創建する。
- 嘉暦2年(1327年)2月
- 執権 北條高時の要請に応じて浄智寺に入寺する。解制後、再び南芳庵に戻る。
- 嘉暦2年(1327年)8月
- 鎌倉・錦屏山 瑞泉院(現在の瑞泉寺)を開創する。 開基は二階堂道蘊
- 夢窓疎石は、背後の山が錦の屏風のように追る地形が禅院にふさわしいとして、この地を選んだ。
- 嘉暦3年(1328年)
- 夢窓疎石(国師)(54歳)は瑞泉院に観音堂を造営し、裏山の山頂に「偏界一覧亭」という亭を構えて、
- 「偏界一覧亭に題す」という:偈頌を作った。
- 偏界=全世界、 一覧=一望 することが可能な景観の亭。
瑞泉寺と改名 … その後の瑞泉寺 …
- 鎌倉幕府滅亡後
- 足利氏が厚く保護し、鎌倉公方 足利基氏は遺命で塔所とした。
- 瑞泉院を瑞泉寺と改める。
- 至徳3年(1386年)
- 関東十刹の第一に列せられた。
- 盛時には足利尊氏の母のの塔所・果証院や持氏の塔所・長春院以下、南芳庵・保寿院・勝光院・祥雲庵・羅漢院・三聖院
- 等々の塔頭があったがすべて廃絶。
- 現在は惣門・三門・仏殿・開山堂・地蔵堂・客殿・庫裡がある。
- 客殿は昭和38年(年)に横浜・金蔵院(江戸前期の造)から移築したものである。
- 江戸時代
- 徳川光圀が寄進した「千手観音像」(鎌倉市重要文化財)が本堂にある。
木造 千手観音菩薩坐像 瑞泉寺 |
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