編界一覧亭旧跡 (itchiran-tei-kiuseki)の石碑文の説明


☆ 編界一覧亭旧跡の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・


   この亭は嘉暦三年(1328年)に、夢窓国師が建てたものである。

  鎌倉五山の僧が集まって、しばしば詩会を開催した所である。

   その後、亭は退廃してしまったが、徳川光圀が一堂を建て、その傍らに寮を建造した。
  そこに『一覧亭集詩板』を掛けたと言われているが、今は堂も寮もなく、礎石のみを残すだけである。

        『前もまたかさなる山のいほりにて
                           梢につづく庭の白雪』


                        の歌は、夢窓国師が此の亭で詠んだものであると伝えられている。


         昭和十年三月
                                    鎌 倉 町 青 年 団 建


【一覧亭の名の由来】

偏界一覧亭の名称については、 清拙正澄の「一覧亭記」によると、次のような意味が付せられている。


   『 十 虚 無 けん これを 偏 といい、 心 の至極するところ これを 界 と謂い

   殊途同帰 これを 一 と謂い、きょう と しん と会すれば此れを 覧 という』


つまり、無限に広い心の広がりが、途を異にしながらもここに集まり、心と周囲の環境が一体となる場所

を意味する と言う。