上 杉 朝 宗 及 氏 憲 関 連 の 年 賦

    ◆ 上杉朝宗、父・上杉(犬懸)憲藤の死後、犬懸上杉氏を受け継ぐ

  1. 暦応元・延元3年(1338年)

  2. 犬懸上杉氏の祖、上杉憲藤は尊氏の命で上洛し、摂津で畠山顕家の軍勢と戦ったが、

    延元3年(1338年)3月15日、摂津国渡辺河で激戦のすえ討ち死にした。  21歳、法名は古岩道涼。


    上杉朝宗は、正平20年(1365年)〜天授2年(1376年)の間に、兄朝房に代わって上総国の守護職となり、

    ついで家督を譲られて、犬懸上杉氏を継いだ。

    上杉朝宗は応永2年(1395年)3月9日、関東管領に就任。応永12年(1405年)9月12日、辞任。


    ◆ 上杉氏憲、父・上杉朝宗から家督を受け継ぐ

  1. 応永16年(1409年)7月22日

  2. 上杉朝宗は、鎌倉公方 足利満兼の死に際し、剃髪して禅助と号し、

    上総国長柄山 胎蔵寺に隠遁して、家督を子の氏憲(禅秀)に譲った。



    ◆ 上杉朝宗、徳泉寺を建立  (禅宗)

  1. 永享十年(1438年)

  2. 上杉憲直の次弟上杉小五郎持成が山内徳泉寺にあって自害した。 《東乱記》。
    徳泉寺は上杉朝宗の法号である。


    徳泉寺は安国寺の西、正法寺の東にあったが、現在は廃寺(廃年は不明)。

    開山は東岳文c、開基は上杉朝宗である。


出展; 「鎌倉廃寺辞典」(貫達人・川副武胤共著)昭和55年刊 による

    ◆ 上杉禅秀の乱

  1. 応永23年(1416年)10月

  2. 上杉禅秀は足利義嗣・同満隆とともに持氏に叛き、鎌倉を襲う。

    持氏、駿河に逃げて今川氏をたよる。

    12月、室町幕府、山名時煕らに、持氏援助を命ずる。

    応永24年(1417年)1月、満隆・禅秀ら敗れて、鎌倉雪ノ下で自殺する。