大慈寺跡 (daigi-ji-ato) の 歴 史




『大慈寺の建立』


  □ 建暦二年(1212年)……………………源 実朝は一寺の建立を思い立つ。……《「親御堂」と号した。》

  □ 建暦二年(1212年)4月18日………「願いのため大倉卿に大慈寺を建て、今日 上棟する」
   「君恩父徳」(後鳥羽上皇・源 頼朝)に報謝するための寺を造り始める。


  □ 建暦二年(1212年)7月23日………総門を建立した。
   此の地は「河あり山有り、水木共にその便を得、地形の勝絶、恐らく仙室と謂ひつべきか」 という景色の良い処であつた。



  □ 建暦二年(1212年)10月11日………「大倉に赴き新造の堂宇を覧る。」

  □ 建保二年(1214年)4月18日………供養の儀式次第定まる

  □ 建保二年(1214年)4月21日………惣門用の金剛力士の沙汰あり。

  □ 建保二年(1214年)4月27日………開堂の供養が営まれる
                    落慶供養に際し、実朝は都の高僧を招こうとしたが、大江広元等の反対にあい、。
                    明庵栄西が導師に選ばれた