「鎌倉十橋」の一つである。 宝治元年(1247年)六月、「 三 浦 泰 村 一 族 の 乱 」 があった際、北条時頼の母方の祖父にあたる 安達景盛が安達一族の兵を引き連れて,この橋の北側辺りから 三浦泰村の屋敷を攻めたと言うことが、 東鑑(吾妻鏡)に記載されている。 また文平(文永が正しい)二年(1265年)三月、鎌倉にある商家の商売地域を数箇所に限定する、 「触れ書」が出された。 その中に、『 一 所 は 須 地 賀 江 橋 』 とあるが、これは此の辺りを指している。 昭和十四年三月 建 鎌倉町青年団 |