- 執権 北條義時 当時の「小町亭」の規模 (想定)
- 現在 宝戒寺のあるこの地はその昔、北条氏の小町亭と呼ばれた邸宅のあった処である。
- その広さは北は、宝戒寺前の金沢街道が東に折れる筋替橋辺りまで、東は宝戒寺裏の滑川まで
- 南は東勝寺橋まで、西は宝戒寺前を南に走る小町大路までという、現在の宝戒寺の十倍の広さ
- であった。周囲は高い塀をめぐらしていたと伝えられている。
- 元弘3年 (1333年)
- 新田義貞が鎌倉に攻め入ったとき、この亭は焼失した。
- 建武2年 (1335年)
- 今この地に建つ宝戒寺は、北條高時一族の霊を弔うため、一族を滅ぼした 後醍醐天皇の勅命により
- 足利尊氏が、北条氏の菩提寺であつた東勝寺を高時亭跡のこの地に移し建立した。
- (紅葉山やぐら)
- 宝戒寺三門を出て右の小町大路を左に宝戒寺横を曲ると宝戒寺の裏門に出る。
- 宝戒寺橋を渡った所に「紅葉山やぐら」がある。
- 昭和10年(1935年)に発見され、五輪塔や納骨が出土した。
- 「北條執権の納骨堂」
と言われている。
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