☆ 青砥藤綱邸旧跡社の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・
『 太 平 記 』の書によると、
青砥左衛門尉藤綱は、北条時頼(八代執権)と北條時宗(九代執権)の二代の執権にお仕えし、
引付衆の役につらなった人物であると云われている。
(藤綱の次の逸話は世間でもよく知られている。)
『藤綱が、ある夜、出仕の祭、滑川を渡り過ぎる時のことである。誤って銭・十文を川に落としてしまった。
藤綱は、川に落とした銭・十文を探し見出すめ、水中を照らしすために五十文の松明を買い求めた。
その効果あって銭・十文を得ることが出来た』
時に人々は『小利大損』と嘲け笑った。
藤綱は、此の時嘲け笑った人々に対してこう諭した。
『落とした銭・十文は拾わなければ、天下の財産は失われてしまう。 だが 松明に買いのに払った五十文は
自分の損であっても、商人から商人に渡って大きな利益を生むことであろう』
というこの逸話は此の辺りで起こった話であると言い伝えられている。、
大正十年三月 建之
鎌 倉 町 青 年 団
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