この橋は「鎌倉十橋」の一つである。 此の辺りには、昔 「 夷 堂 」があった と伝えられている。 此の橋の下の流れは、上流において 「 胡 桃 (くるみ)川 」 と言い、 流れ下って、浄 明 寺 門 前 に至って 「 滑 川 」 と呼ばれ、 「 文 覚 上 人 の 屋 敷 」 辺りでは 「 座 禅 川 」 と唱え、 この「 夷 堂 (えびすどう) 址 」 辺では 「 夷 堂 川 」 と称している。 さらに下流の「 延 命 寺 」 の傍らでは 「 す み う り 川 」 と名付けられ、 「 閻 魔 (えんま) 堂 址 」 の辺りで、 「 閻 魔 川 」 と言っている。 昭和七年三月 建 鎌 倉 町 青 年 団 |
江で時代までは、夷堂橋のたもとにあった「夷堂」は明治初年の神仏分離のため、 寺と分けられて現在の「蛭子神社」と名付けられて、、現在の蛭子神社の地点に移転した。 本覚寺から小町大路を宝戒寺にむかって 50m進んだ右側にある。小町の鎮守である。 現在「夷堂」は、再び昭和56年(1981年)に本覚寺(山門(仁王門)を入って右側に移されて 再建された。 この辺りは、小町と大町との境にあって、中世においては、大町大路と呼ぶ道筋にあって 材木座・小町を結ぶ重要な地点であった。 この『夷堂」は、鎌倉幕府の鬼門の方角にあたると言うことで、 源 頼朝が幕府の守り神として七福神を祀ったところである。 現在も鎌倉七福神の「恵比寿(えびす)」となっています。 | |
浄智寺…布袋尊。鶴岡八幡宮旗上弁財天…弁財天。妙降寺…寿老人。本覚寺…寿神(恵比寿)。 安養院…毘沙門天。長谷寺…大黒天。御霊神社…福禄寿。 ※ 鶴岡八幡宮旗上弁財天の弁財天は、鎌倉国宝館に安置されてます。 長谷寺の大黒天は大黒堂・宝物館に、御霊神社の福禄寿は宝蔵庫に安置されています。 |
《「日蓮聖人辻説法之阯」石碑 の 項》 をご覧下さい。 |
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