『吾妻鏡』における 塔 の 辻 (toono-tugi-basho) の記述

塔 の 辻 にかんする『吾妻鏡』における記述・・・


《 文暦2年(1235年)6月29日庚寅 》 の条

朝の間雨降る。巳以後霽に属す。寅卯両時に新造御堂の安鎮を行われる。
・・・(省略)・・・
明王院供養あるべきによって、将軍家御参堂のてめに出御。西に向いて反閇あり。
忠尚朝臣奉仕す。 同じく東方に出て禄を給う。左近大夫将監佐房これを取り、忠尚が左肩に懸ける。
その後南門より御出。
小町大路を北行、塔の辻とうのつじを東行す。
・・・(以下省略)・・・



ここに記載されている「塔の辻」は、現在の筋替橋から六浦道を東行いたとうことで、宝戒寺の前、小町大路と横大路の
交差する辻(鎌倉市小町3丁目内)を差しここに石塔があったので、「佐々目ガ谷」の「塔の辻」とは別である。
塔ノ辻について「鎌倉志」は、宝戒寺の南の方で、路傍に石塔がある。里俗北條屋敷の下馬という《「鎌倉市史・総説編」285頁》