此の地は、比企ガ谷 新釈迦堂、即ち 二代将軍 頼家の女で将軍 藤原頼経 の室となつた 「竹の御所」夫人の霊廟のあった処である。 この御堂に仕えていた僧で「権律師(ごんのりつし) 仙覚」という者が、万葉集研究の偉業を成し遂げ たのは、実にこの僧坊であった。 現在 竹の御所夫人の墓標として大石が置いてある位置は、丁度この御堂の須弥壇の真下にあたる所である。 この御堂は、恐らく南向きで、僧坊は西 方向をむいて建てられていたと 思われる。 西側の崖下にある巌堂は、千覚等 代代 この御堂に仕えていた 僧達の納骨の所であったろう。 詳しくは、『万葉集新考』の付録である『万葉集雑攷』に記述されている。 昭和五年二月 宮 中 顧 問 官 井 上 通 泰 撰 菅 虎 雄 書 鎌 倉 町 青 年 団 建 碑 |
仙覚は建仁3年(1203)常陸国(茨城県)に生まれた。 天台宗の僧侶。 俗名不詳。 新釈迦堂は鎌倉比企ケ谷(大町の妙本寺境内・竹御所址)にあ り、仙覚は、40歳余にこの釈迦堂に出仕したと推定されている。 仙覚は 寛元4年(1246) 源 親 行 の書写本を底本に、 読み方がわからなくなっていた152首に新訓を加え これを読めるようにして、 翌年『仙覚奏覧状』と共に御嵯峨院に奉献した。 上皇は喜んで仙覚の歌1首を続古今和歌集に載せたといいます。 その後も本文校訂を続行。 文永2年(1265)将軍宗尊親王に書写本を献上した。 文永6年(1269)3月2日に、 仙覚は、本格的な万葉集注釈として学問的価値の高い 『万葉集註釈』全20巻を完成させました。 東国地理の豊富な知識を生かし、東歌解釈に 多くの創見を加えました。 また、『万葉集註釈』の奥書には 「文永六年孟夏二日於武蔵国比企郡北方麻師宇郷政所註之了」 と記されいることで、麻師宇郷は、 現在の 比 企 郡 小 川 町 の増 尾 あたりに比定され、 (右の写真)の 石碑が建立されています。 |
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【人物紹介】は 出展;「鎌倉事典」(白井永二編)等による |