万葉集研究遺跡 (manyouchu-kenkiu-iseki)の石碑文の説明


☆ 万葉集研究遺跡の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   此の地は、比企ガ谷 新釈迦堂、即ち 二代将軍 頼家の女で将軍 藤原頼経 の室となつた
  「竹の御所」夫人の霊廟のあった処である。

   この御堂に仕えていた僧で「権律師(ごんのりつし) 仙覚」という者が、万葉集研究の偉業を成し遂げ
  たのは、実にこの僧坊であった。

   現在 竹の御所夫人の墓標として大石が置いてある位置は、丁度この御堂の須弥壇の真下にあたる所である。
  この御堂は、恐らく南向きで、僧坊は西 方向をむいて建てられていたと 思われる。

  西側の崖下にある巌堂は、千覚等 代代 この御堂に仕えていた 僧達の納骨の所であったろう。

   詳しくは、『万葉集新考』の付録である『万葉集雑攷』に記述されている。


          昭和五年二月
                                  宮 中 顧 問 官   井 上 通 泰  撰
                                              菅  虎 雄  書
                                          鎌 倉 町 青 年 団 建 碑





【人物紹介】
権 律 師 仙 覚  (ごんりつし せんがく)   建仁3年〜?(1203〜?)

 仙覚は建仁3年(1203)常陸国(茨城県)に生まれた。
 天台宗の僧侶。 俗名不詳。

 新釈迦堂は鎌倉比企ケ谷(大町の妙本寺境内・竹御所址)にあ
 り、仙覚は、40歳余にこの釈迦堂に出仕したと推定されている。

 仙覚は 寛元4年(1246)  源 親 行 みなもとのちかゆき の書写本を底本に、
 読み方がわからなくなっていた152首に新訓を加え
 これを読めるようにして、
 翌年『仙覚奏覧状』と共に御嵯峨院に奉献した。
 上皇は喜んで仙覚の歌1首を続古今和歌集に載せたといいます。

  その後も本文校訂を続行。
 文永2年(1265)将軍宗尊親王に書写本を献上した。
  文永6年(1269)3月2日に、
 仙覚は、本格的な万葉集注釈として学問的価値の高い
 『万葉集註釈』全20巻を完成させました。

 東国地理の豊富な知識を生かし、東歌解釈に
 多くの創見を加えました。

 また、『万葉集註釈』の奥書には
 「文永六年孟夏二日於武蔵国比企郡北方麻師宇郷政所註之了」
 と記されいることで、麻師宇郷は、
 現在の 比 企 郡 小 川 町 の増 尾 あたりに比定され、
    (右の写真)の 石碑が建立されています。
【人物紹介】は 出展;「鎌倉事典」(白井永二編)等による