宿谷光則屋敷跡 (yadoya-kousoku-yashiki-ato)の石碑文の説明


☆ 宿谷光則屋敷跡 の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   宿谷左衛門尉光則は、北条時頼の近臣である。
  文永元年(1260年)七月十六日、 日蓮聖人は「立正安国論」を北条時頼に上甲しようと、
  宿谷光則の長谷にある邸宅を訪問し、詳細にその趣意を説いた「立正安国論」を手渡した。

   日蓮上人が竜ノ口で法難にあった時、最愛の弟子でおる 「日朗」 も囚われの身となって、
  この 光則 の邸宅の後方の山麓にある土牢に保護されていた。

  この土牢において、日朗は、日蓮が長年にわたって難行・苦行をかさた哀話を書き残してしる。
  宿谷光則は、日蓮上人に深く信服して、遂に 自分の邸宅を日蓮に寄進して此の寺を創建した。

   実にこうした謂われがこの光即寺に在ることを知れば、誰も皆 襟を正して当時を想い追懐することで
   あろう。

             昭和十五年三月 建
                                         鎌倉市青年団