宿谷左衛門尉光則は、北条時頼の近臣である。 文永元年(1260年)七月十六日、 日蓮聖人は「立正安国論」を北条時頼に上甲しようと、 宿谷光則の長谷にある邸宅を訪問し、詳細にその趣意を説いた「立正安国論」を手渡した。 日蓮上人が竜ノ口で法難にあった時、最愛の弟子でおる 「日朗」 も囚われの身となって、 この 光則 の邸宅の後方の山麓にある土牢に保護されていた。 この土牢において、日朗は、日蓮が長年にわたって難行・苦行をかさた哀話を書き残してしる。 宿谷光則は、日蓮上人に深く信服して、遂に 自分の邸宅を日蓮に寄進して此の寺を創建した。 実にこうした謂われがこの光即寺に在ることを知れば、誰も皆 襟を正して当時を想い追懐することで あろう。 昭和十五年三月 建 鎌倉市青年団 |