星 月 井(hoshituki-well)の石碑文の説明


☆ 星 月 井 の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   「星月夜の井」 は、別名 「星ノ井」 とも言う。  「鎌倉十井」 の一つである。

   坂ノ下の地域にあるが、往時は、此の付近は老樹が 鬱蒼うっそう と茂り、昼間でも暗く、
   このような情景の処として、「星月ガ谷」 と言った。それが転じて、後には「星月夜」と言う様に変わった。
   井戸の名も、之にちなんで名付けられたのである。

   此の里の古老の言い伝えによると、此の井戸の中には、昼でも星影が見えたので、
   此の名があると言ったのである。

   井戸近くのお手伝いさんが、誤って菜切包丁を落としてから星影を見ることが出来なくなってしまった。
   この言い伝えが、地元の人々には 最も信じられていようである。

   慶長五年(1600年)六月、 徳川家康 が京都から帰る途中 鎌倉を通過した折、此の井戸を
   みているので、此の井戸の名は、広く知られていたのだろう。
   水質も清く、最もよい飲料水であった。

          昭和二年三月 建
                                      鎌 倉 町 青 年 団


◇ 鎌倉の枕詞に「星月夜」という言葉を使いますが、この谷の名を「星月夜ケ谷」といったこと

  によるのでしょう。


  以前此処に、平安時代の 次の歌碑が建立されていました。

      われひとり かまくら山 こえゆけば

                  星月夜こそ  うれいかりけれ




【 関 連 事 項 】

【室町時代の「星月井」近辺の情景 】 
     「堯恵法印ぎょうけい の旅行記 『北国紀行』
      文明十九年(1487年)正月二十日、ころ堯恵法印が、鎌倉の地を訪ねた時の紀行文である。
        『…極楽寺へいたるほどに、いとくらき山間やまあいに、星月夜というところあり、
        むかしこの道に 星御堂ほしみどう 【虚空蔵堂ごくうどうぞう】 とて侍りき
…(中略)…

            『今なお星月夜 こそ のこるらめ
                          寺なき谷の 闇のともし火』


                                             と書いている。』