稲 村 ケ 崎 (inamura-saki)の石碑文の説明


☆ 稲 村 崎 跡 の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   今を遡ること、五百八十四年前の昔(平成20年から675年の昔)、
   元弘三年(1333年) 五月二十一日、新田義貞 此の岬を廻って鎌倉に攻め入ろうとし、
   黄金製の刀を海に投げ入れて、潮の退くことを海神に祈ったと言う処はここである。

          大正六年三月 建之

                                   鎌 倉 町 青 年 会





【 日本最古の「 万 葉 集 」 に 歌われてる 稲 村 ガ 崎 】

  『 鎌 倉 の 見 越 み こ し の 崎 の 岩 崩 いわくえ れ の

          君 が ゆ べ き    心 は 持 た じ  』

  
         「 可麻久良乃 美胡之能在吉能 伊波久叡乃 伎美我久由倍伎 巳許呂波母多自 」

    見 越 み こ し の崎 =「稲村ガ崎」《大日本地名辞典》を言う。

   「腰越の岬」との説《仙覚抄》もある。或いは「御與嶽」かと云う。