弁 ケ 谷 (bengaya-yatu) の 歴 史

弁 ケ 谷 の 地 名 の 由 来

  1. 嘉歴2年(1327年)10月5日


  2. 『風土記稿』に記載されている

    崇寿寺鐘銘に「飯嶼之艮、鎌倉之巽、弁谷霊区」とあるのが初見。

     崇寿寺は北條高時が開祖の臨済宗の寺院であるが、今廃寺となっている。


  3. 文明18年(1486年)10月

  4. 鎌倉を来訪した道興どうこうの『廻国雑記』には。「べにが谷をとおりて 化はい坂を越えて」として

    「顔にぬる へにかやつ(紅ケ谷)より うつりきて 早くも越える いはい(化粧)坂哉」と詠じ

    ており、弁ケ谷を紅ケ谷と称していたことがうかがえる。


  5. 「鎌倉志」には・・・

  6. この地に千葉介の館があり、「介」の唐名「別駕」に因むものと説いている。


  7. 「攬勝考」では・・・


  8. 常陸介や上総介を称することが多かった佐竹氏の屋式が近くにあったことに地名の由来を

    求めている。


         以上は「鎌倉の地名由来辞典」(三浦勝男編・東京堂)による。