元享元年(1321年)、相模守 北条高時 が創建した金剛山 崇寿寺は、此の地域であった。 道興准后 の記した廻国雑記の中に紅谷とあるのと、田代系図に拠って千葉の介の敷地 としている別谷とは、共に 「辨谷」 に同じであるという説もあるが、はっきり断言できない。 昭和七年三月 建 鎌 倉 青 年 団 |
【 関 連 事 項 】 |
山号 金剛。 元享元年(1321年) 北条高時 の開創。 開山は「南山士雲」。 享元三年(1323年) 北条貞時 の十三回忌供養の時、当寺から僧衆 十三人が参したと言う。 かなりの規模の寺であったと想像できる。 此の寺は、応永三十一年(1424年)まで存在していた事が解っている。【「鹿山略志」による】 | |
《 出展;「鎌倉廃寺事典」(貫 達人・川副武胤共著)による 》 |