『吾妻鏡』における 乱 橋 (midare-hashi) の記述
乱 橋 にかんする『吾妻鏡』における記述・・・
《 宝治2年(1248年)6月18日 甲午 》 の条
『宝治2年(1248年)6月18日 甲午 寅の尅、濫橋の邊、
一許町以下南に雪降る。 その邊霜のごとしと云々。』
《 文 説 》
この同年の前月(1248年5月)18日に秋田城介入道(安達景盛)が高野山で卒し、同月28日に時頼の妾が男子・寶壽を産む。
また、この6月の9日に、相模河の水が流れ血の如く紅色となる、…が16日にはこの赤色も薄らぐと吾妻鏡には記されている。
18日の条に「濫橋の辺りにて約100m南に雪降り、あたかも一面に霜が降りた様である」と記録されている。
鎌倉十橋のうちで、吾妻鏡に見られるのは、この「濫橋」の「筋違橋」のニ橋である。