玉縄城址 (tamanawa-shiro-ato)の石碑文の説明
☆ 玉縄城址の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・
玉縄城は永正9年(1512年)10月、
北条
早雲
そううん
が築きました。
大永年間(1521年〜1528年)から亨禄年間(1528年〜1532年)の頃までは、
北條
氏時
うじとき
が城主であり、
天文元年(1532年)より一族
北條
綱成
つなしげ
が城主になり居住しました。
天正18年(1590年)に小田原北条氏が滅亡の折、玉縄城主・
北條
氏勝
うじかつ
は徳川家康方に降伏し、
玉縄城は徳川氏のものになりました。
その後、城は廃城となりました。
昭和三十一年三月建
鎌 倉 友 青 会
(註) 石碑に刻まれた 2行目の「大永享保」は正しくは「大永享禄」となります。
(1) 玉 縄 北 条 氏 城 主 の 略 系 図
(2) 後 北 条 氏 の 略 系 図
(3) 北 条 氏 の 主 要 支 城