隠岐の島 旅のメモ帳 のページ

 □ 舟引運河と美田の里についてのメモ・・・
《 舟 引 運 河 の 名称・歴史 》 
  『舟引運河』が開通したのは、大正4(1915)年のことです。
  西の島の地形は蝶が羽を広げたように東西に広がっています。舟引運河はと魔のほぼ中央、美田湾の奥深く
  外海との接点にあり、開削前までは三、四百bの陸地によって外海と内海は隔てられていました。
  漁民たちが内海から外海に出る場合、陸の上を船を引っ張って移動しなければならなかったため
『舟 引』
  という地名が付けられと言います。

「船引運河」の現況写真が見られます。

《感じたこと》
  表裏の海を運河でつなぐなど、当時一般の常識からすると奇想天外な発想であったと思う。
  当時船引の黒木村の村長・中西松次郎、隣村の浦郷村の村長・今崎半次郎は不退転の決意で村民を説得して、
  この有史以来の海側に運び、約一年余りで、幅5.5b、延長340bの運河が完成しました。
  (現在は、幅12b、延長300bに改良されています)
  西の島海上交通の主要施設として重要な役割を来果たしています。
  「船引運河の架橋」の上に立つと、穏やかな美田湾と外海が一望出来ます。

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