段 葛 (Dankazura) の 歴 史
現在の「段葛」は、両脇は約300本の染井吉野の桜並木になっていて、
桜の時期は大勢の人で賑わいます。
また、4月1日〜4月16日の間は約400個の提灯に灯が入り、
夜桜を楽しむことが出来ます。
此れまでに次のような変遷を経て来ました。
『室町期・江戸時代の壇蔓の記録』
□ 室町時代の『殿中以下年中行事』『鎌倉公方御社参次第』には、……《「置石」とある。》
□ 『鶴岡御造営日記』には、……………………………………《「作道」とある。》
□ 江戸時代の『新編鎌倉史』には、…………………………………………《「段葛」と呼ばれていた。》
段は壇であり、葛は壇などの上にあって縁石(ヘリイシ)を兼ねる石であるから、
土壇の葛石を置いて造った道を意味する。
大路中央に二条の堤を築き、その堤の基部に石を置いた道である。
□ 明応4年(1495)8月の大地震により鶴岡八幡宮から由比ケ浜までの全長1900メートルあった段葛は、
滑川や佐助川の洪水で破壊されたりして幕末には下馬までとなった。
□ 天文3年(1534)6月に道春という僧によって修造された。
『明治以降の段葛の移り変わり』
□ 明治初年当時の段葛・若宮大路の写真集 ・・・
《出典;『図説鎌倉回顧』市制施行30周年記念 昭和44.11.3発行》
(42) 明治 初年(1882)頃に撮影された段葛の写真(1)・・横浜市史編集室所有
【古写真コメント】
;段葛のなかに蓆を敷いて乾物が干してある。両側の土手は低く、草が茂っているだけで、
木は何も植えていない。
木を植えたのは、明治20年前後で、梅や小松などいろいろあったと言う。
両側の家は皆溝に細い橋を渡している、溝の上に張り出してある家は飲食店・店屋である。
(43) 明治 初年(1882)頃に撮影された段葛の写真(2)・・久保田雅彦氏所蔵
(45) 明治 初年(1882)頃に撮影された対鶴楼(角正)の写真・・鎌倉市所蔵
(47) 明治10年(1882)代に撮影された若宮大路遠望・・・小坂藤若氏所蔵
(48) 明治20年(1882)頃撮影された一の鳥居の写真・・・阿部正道氏所蔵
□ 明治十一年(1879)の官有編入によって二の鳥居以南の段葛は失った。
□ 明治二十一年(1889)に始まったJR東日本、横須賀線開通工事等に伴い、二鳥居以南の段葛は失われた。
当初は段葛を崩して若宮大路を横切る線路を渡るのに坂を登り降りして線路の、踏切をわたっていた。
その後若宮大路を掘り下げて、立体交差した、その為 大雨の度に冠水のある大路となった。
『大正になってからの段葛の景観』
□ 大正七年(1918)壇蔓の大改修工事により、今見る桜と躑躅の花のトンネルの様な参道となった。
現在の壇蔓の道路幅は、石碑の建立の二の鳥居付近は約5.1m、八幡宮前の地点では約2.9m幅である。
南側から北に向かって八幡宮を望むと、遠近法によって、実際以上に八幡宮が遠くに観えその奥行きが
感じられる。
『平成 になっての段葛の景観復活活動』
『ボランティアが桜の幼木に肥料』
(出展:平成23年2月18日・タウンニュース鎌倉版)
『若宮大路に松を植樹』
(出展:平成23年4月29日・タウンニュース鎌倉版)
◇ 『若宮大路松並木再生プロジェクトが黒松苗木を植樹』
(出展:平成24年3月30日・タウンニュース鎌倉版)
今回の黒松4本の苗木の植樹の結果、若宮大路には一の鳥居から海岸線までの間には、242本の
松の街路樹となりました。
◇ 『段葛』改修工事始まる
(出展:平成26年11月4日・タウンニュース鎌倉版)
工事が終わるのは、平成28年(2016年)3月の予定である。
◇ 『段葛』全面改修工事終了-『お披露目の通り初め』
(出展:平成28年3月30日・日本経済新聞)
(出展:平成28年3月30日・日本経済新聞)
□ 工事が終わり、平成28年(2016年)3月30日、お披露目の『通り初め』が行われた。
段蔓、全長465mに桜の木 177本が植えられた。五分咲きの桜の花のした、歌舞伎役者の中村吉衛門さんら約200人が八幡宮に向かって歩いた。