、 此のあたりは、むかし柳の名所で「柳原」と呼ばれていた…。 言い伝えによると 青みにけるな春のしるしに』 、 という古い歌が伝えられている。 現在生い茂っている柳は、その時の名残であろう。 昭和九年三月 鎌 倉 町 青 年 団 建 |
実朝の歌碑 は、国宝館正門右手に、関東大震災で倒壊した二の鳥居の石柱を使用した もので、高さが三・六bある石碑があります。 『山はさけ うみはあせなむ 世なりとも 君に ふた心 わがあらめやも 』 此の歌は、『金槐和歌集』の巻末をしめくくる歌で、後鳥羽上皇を慕って詠んだものです。 《『金槐和歌集』(「鎌倉右大臣歌集」ともいう)が歌集としてまとめられたのは、建暦3年(1213年)で、 実朝 数え年22歳の時である。》 鎌倉文化連盟の人々によつて、実朝の生誕七百五十年にあたる昭和十七年(1942)八月に実朝顕彰のために 鎌倉ペンクラブの人々が建立したものです。 |