柳 原 (yanagi-hara) の石碑文の説明


☆ 柳 原の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   此のあたりは、むかし柳の名所で「柳原」と呼ばれていた…。 言い伝えによると

    『年へたる鶴が岡辺の 柳 原

                 青みにけるな春のしるしに』


、                              という古い歌が伝えられている。
   
この歌の作者は明らかでないが、一説では、 北 条 泰 時 が詠んだ歌とも言われている。
    現在生い茂っている柳は、その時の名残であろう。

            昭和九年三月
                                         鎌 倉 町 青 年 団 建



  ◇ 『北条泰時の歌は「松の葉」であつてこれを 此の辺り柳の大樹が生い茂るっていたので、
     「柳原」と改作したのではないか。』   ……と、《新編鎌倉志》には記されている。

     尾崎左永子氏は著書『「鎌倉百人一首」を歩く』の中でこの歌を取り上げている。
     「この歌は『夫木ふぼく和歌集』にのっている。「春歌中、柳」「平泰時朝臣」とあって、いつ作られたものか
     さだかでない。…尚、氏は泰時について、「…人望も高かった。実朝より十歳ほど年上であるが、
     歌会にはつねに参加しており、歌柄もしっかりしていて力量の具わった人であったようだ。…」
     更にこのうたについて「ほののりした歌」で「素直に歌」であると絶賛しておられる。

  ◇ 『片枯れした柳の老大樹が此の辺りに一本あったのが、地名の由来である。』……《「鎌倉攬勝考》は記載。

二代将軍頼家が、腰越津村に遊んだ時に、柳の名木を見出し、これを移し植えたとの伝えもある。


【 天然記念物・ シロシダレ 】


  シダレヤナギ類似の一種である。  葉か短く、若葉はやや多毛で白く見え、子房の下半に毛がある。
  シダレヤナギはざらにあるが、シロシダレは稀少価値である。
  柳原の池に三株・源氏池に七株併せて十株のシロシダレが残っている。全て雌株である。
  明治維新前から、少なくとも百年来この池の柳であった。

      樹木の寸法:根回り 200cm (池の西岸北の樹木)
      昭和52年6月11日 鎌倉市指定天然記念物に指定される。

【 天然記念物・ シロシダレ 】の出展;「鎌倉文化財・第十二集」(鎌倉市教育委員会 編集)による
      写真は源平池湖畔のシロシタレです。


【 「 蜘 蛛 」 の 伝説 】


    柳原の池にはこんな伝説があります。
  修験者が八幡宮の参拝をして、池の辺で一休みしていると、一匹の蜘蛛が、池から出てきて、
  修験者の右足に五色の糸を絡ませた。
  修験者は其のいとを、池の辺の杭にに括りつける。…と 蜘蛛は今度は修験者の左足に糸を絡ませた。
  修験者は気味悪く、是も杭に括りつけた。 と、途端に…池は波立ち 地鳴りがして、糸は杭もろとも、
  池中に消え失せた。
  蜘蛛は妖怪の変身。…「 修験者は、七日七夜の祈祷の末、池から妖怪を退散しました… 、」と。


【 文学散歩 】


    実朝を偲ぶ、「菅 裸馬すがらま」の句碑
           『 歌 あ れ そ の 人 実 朝 忌 』 


    菅 裸馬 は 本名 菅 礼之助 ・ 秋田県の出身の実業家である。
   裸馬 の主唱で、昭和二年から、実朝忌俳句大会が始められ、その記念として、昭和三十六年 俳誌
   「同人」社 によって、此の碑が建立された。

 ◇ 八月八日は、実朝の誕生日を偲ぶ祭り、『 実 朝 祭 』。

     歌人・実朝にちなんで午前10時から八幡宮境内白幡神社で歌会が催される。


【菅 裸馬の年譜】

菅 裸馬 (1883〜1971)は大正昭和期の実業家で俳人。秋田県出身。 本名;礼之助。

明治38年(1905年)東京高等商業学校(一ツ橋大学)卒業後、古河鉱業に入社し、以来、古河系会社の重役を歴任した。

昭和14年(1939年)国策会社帝国鉱業社長に任じたのち、石炭庁長官・配炭公団総裁・東京電力会長・日本原子力

産業会議長・経済団体連合評議会議長などの要職につき、特にエネルギー問題に力をつくした大先輩で財界の重鎮。

  俳句は青木月斗の『同人』紙上で活躍し、昭和24年(1949年)に月斗が没すると同誌を主宰し、俳句の歳時記

に「実朝忌」を加えた。

昭和45年11月、勲一等漁瑞宝章を受章。翌46年2月28日没。

鎌倉同人会の終身会員で、鎌倉の実朝忌育ての親のひとりである。   …《「『神奈川県史』別編1人物」による。》



        実朝の歌碑 は、国宝館正門右手に、関東大震災で倒壊した二の鳥居の石柱を使用した
    もので、高さが三・六bある石碑があります。
       『山はさけ うみはあせなむ 世なりとも
                           君に ふた心 わがあらめやも 』 

    此の歌は、『金槐和歌集』の巻末をしめくくる歌で、後鳥羽上皇を慕って詠んだものです。
      《『金槐和歌集』(「鎌倉右大臣歌集」ともいう)が歌集としてまとめられたのは、建暦3年(1213年)で、
       実朝 数え年22歳の時である。》


    鎌倉文化連盟の人々によつて、実朝の生誕七百五十年にあたる昭和十七年(1942)八月に実朝顕彰のために
    鎌倉ペンクラブの人々が建立したものです。


《鎌倉に建立の「実朝の歌碑」》 をご覧下さい。