『吾妻鏡』における 二十五坊旧跡 (nizyuugo-bou-kiuseki) の記述
二十五坊旧跡にかんする『吾妻鏡』における記述・・・
《 治承4年(1180年)12月4日 □□》 の条
『 阿闇梨 定兼 召しによって上総国より 鎌倉に参上する。
…省略…
今日すなわち鶴岡の供僧職に補せられる。』
《 養和元年(1181年)10月20日 □□》 の条
『 頼朝 は走湯山 僧禅睿 を鶴岡供僧ならびに大般若経衆に補任して鶴岡西谷において
免田二町を給し、また玄信を同じく最勝講衆に補任した。