今 宮 いまみや の 石 碑 文 の 説 明


 ☆ 今 宮の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

      四條天皇 の延応元年 (1239年) 鎌倉中の処々で喧嘩や闘争があった。

    特に 此の年の五月二十二日は大騒動が起こったと言う。
    この日は、後鳥羽上皇が流罪先の隠岐の島で崩御した日である。 この騒動は、上皇の怨念が起こった
    ことに起因する事であるう。

     宝治元年(1247年)四月、鶴岡八幡宮の背後の大臣山の西麓に 「今宮」 を建立する。
    此処に 後鳥羽上皇 の尊霊を勧請し、さらに 順徳天皇 及び 護持の僧 長賢 を合祀する。

     長賢 は承久の乱 (1221年) の時、官軍(後鳥羽上皇方)に参戦して奮戦したが、捕らえられる。
    捕らわれて、陸奥(青森県)に流罪された僧である。

     「今宮」 は、 また 「新宮」 とも書く。



  ◇【 承久の乱 】について
  ◇ 後鳥羽上皇、 順徳天皇 及び 護持の僧 長賢 の履歴を掲載する予定です。