永福寺旧跡 (youfuku-ji-kiuseki)の石碑文の説明


☆ 永福寺旧跡の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   「永福寺(ようふくじ)」を当時の人々は、一般に二階堂と呼んでいました。
 今、この辺りを二階堂という地名で呼ばれているのは、其のためである。
 文治五年(1185年)に、頼朝は奥州征伐から凱旋すると、奥州にあった大長
 寿院の二階堂に似せて此の永福寺を建てた。
 その建物が大きくて立派なことは、天下にならぶものがない程であったと言う。
 

   享徳年間(1452年)関東管領の勢力が衰えるにつれて、まったく荒れ果
 ててしまった。

      大正九年三月 建立
                               鎌 倉 町 青 年 会