千葉の介成胤法師一人を生虜り、相州に進す。これ叛逆の輩中の使い(信濃の国の住 人、青栗の七郎が弟阿静房安念)なりと。合力の奉りを望まんが為、彼の司馬の甘縄 の家に向かうの処、忠直を存ずるに依ってこれを召し進すと。相州即ちこの子細を上 啓せらる。前の大膳大夫の如き評議有り。山城判官行村の方に渡され、その実否を糺 問すべきの旨仰せ出さる。仍って金窪兵衛の尉行親を相副えらると。 [北條九代記] 安念法師の白状に依って、謀叛の輩所々に於いてこれを生虜らる。所謂、 一村の小次郎近村(信濃の国の住人、匠作これを預かる) 籠山の次郎(同国住人、高山の小三郎重親これを預かる) 宿屋の次郎(山上の四郎時元これを預かる) 上田原の平三父子三人(豊田の太郎幹重これを預かる) 薗田の七郎成朝(上條の三郎時綱これを預かる) 狩野の小太郎(結城左衛門の尉朝光これを預かる) 和田四郎左衛門の尉義直(伊東の六郎祐長これを預かる) 和田六郎兵衛の尉義重(伊東の八郎祐廣これを預かる) 渋河刑部六郎兼守(安達右衛門の尉景盛これを預かる) 和田の平太胤長(金窪兵衛の尉行親・安藤の次郎忠家これを預かる) 磯野の小三郎(小山左衛門の尉朝政これを預かる) この外白状に云く、信濃の国保科の次郎・粟澤の太郎父子・青栗の四郎、越後の国木 曽瀧口父子、下総の国八田の三郎・和田・奥田太・同四郎、伊勢の国金太郎・上総の 介八郎・甥臼井の十郎・狩野の又太郎等と。凡そ張本百三十余人、伴類二百人に及ぶ と。その身を召し進すべきの旨、国々の守護人等に仰せらる。朝政・行村・朝光・行 親・忠家これを奉行すと。この事の濫觴を尋ねらるれば、信濃の国の住人泉の小次郎 親平、去々年以後謀逆を企て、上件の輩を相語らい、故左衛門の督殿の若君(尾張中 務の丞養君)を以て大將軍と為し、相州を度り奉らんと欲すと。 |