11月30日 己未 天晴 鎌倉と六浦津との中間、始めて道路に当てらるべきの由議定有り。 今日縄を曳き丈尺を打ち、御家人等に配分せらる。 明春三月以後造るべきの由仰せ付けらると。 前の武 州 (北條泰時) その所処を監臨し給う。 中野左衛門の尉時景これを奉行す。 (安倍) 泰貞朝臣日次を擇び申す と。
4月5日 癸亥 霽 六浦道造り始めらる。これ急速の沙汰有るべきの由、去年の冬評議を経らると雖も、 新路を始めらるること、大犯土たるの間、明春三月以後造らるべきの旨重ねて治定すと。 仍って今日前の武州その所に監臨せしめ給うの間、諸人群集し、各々土石を運ぶ と。
5月14日 辛丑 六浦路造るの事、この間頗る懈緩す。今日前の武州監臨し給う。 御乗馬を以て土石を 運ばしめ給う。 仍って観る者奔営せざると云うこと莫し と。