相馬次郎師常 は、千葉介常胤の第二子で、相馬氏を継ぎ、巽荒神社の辺に邸宅を有していた。 元久二年(1205年)十一月十五日、六十七歳で端座し、合掌したままで極楽往生をとげた。 佛縁をもつ僧侶や俗人が多数集まって、その師常を礼拝したという。 岩谷窟の中の宝筺印塔は師常の墓である。 昭和七年三月 建 鎌倉町青年団 |
頼朝の重鎮千葉常胤の子で相馬氏の祖の武将。 母は秩父重弘の娘、6人兄弟(千葉系図では7人)の次男で相馬小次郎と称す。 下総国相御厨、陸奥国行方郡内等を支配。 治承4年 (1180年)9月 頼朝挙兵のさい父常胤と共にこれを助けた。 元暦元年 (1184年)2月 源範頼に属し、一の谷を攻撃。 文治5年 (1189年)8月 奥州征伐に随って戦功をあげ、奥州行方郡を給されている。 元久2年 (1205年)11月15日没。 「常心」と号した念仏行者。 |
千 葉 氏 系 図 (群書系図部類) | 相 馬 氏 の 略 系 図 |
八坂大神境内にある「相馬天王」石碑 | 八坂大神(相馬天王社)・巽神社 この辺に千葉常胤・相馬師常の居館があった |