源氏山 (gengi-yama) の歴史
- 『吾妻鏡』にみる亀ケ谷、その周辺の情景
《治承4年(1180年)10月7日 丙戌 》 の条 外を ⇒ 「吾妻鏡」の項 ご参照 願います
- 「亀ケ谷」が「扇ケ谷」にっていったのは・・・
室町時代、関東管領 上杉定正(1494年没)が当谷に居住し「扇谷殿」と称されるてから亀ケ谷の呼称がすたれたという 《風土記稿》
鎌倉町制下の「亀ケ谷」は「扇ケ谷」(地番は385〜520)の小字となる。
- 昭和43年(1968年)1月の住居表示により小字は消滅・・・
小字はなくなり、現在は寿福寺の山号の 「亀谷山」 と 「亀谷坂」 となる。
- 『源 頼朝公 銅像』
頼朝の銅像は昭和55年(1980年)10月、に頼朝が鎌倉入り800年を記念して建てられた。
- 建立の場所
- 源氏山(標高92.6m)の山頂の広い平地に建っている。
- 八幡太郎義家が後三年の役の折、この山に旗を立てたので、
- 「旗立山」・「御旗立山」と呼び伝えられる。
- また 山麓の寿福寺辺りに源 義朝邸があったので、
「源氏山」と呼び伝えられる。
- また 室町時代の 禅僧・義堂周信 が漢詩に詠んだ
「武庫山」はこの山の古名であるという。