源氏山 (gengi-yama)の石碑文の説明


☆ 源 氏 山の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   「源氏山」は初め「武庫山」と言いました。
   また 亀ケ谷の中央にある景勝な地である所から「亀谷山」とも呼ばれていた。

   源 頼義 、 義家 父子が奥州征伐の時に、此の山に源氏の旗を立てたことから、
   或るいは「旗立山」とも名付けられている。

   山の麓の寿福寺境内付近には、古くから 源 氏 代々 の邸宅があった地とも言われている。
   『源氏山』の名称はこのことに起因すると考えられている。

   旗竿を建立したと言われている場所は、現在も残っている。

           昭和三年三月 建之
                                 鎌 倉 町 青 年 団





武庫山むこざん  ・・・ 《詞林采葉抄》による
   『此所(鎌倉)の風水嶺様をかんがふるに、今の鶴が岡は天倉てんそうという山なり。
   西に高き山(中略)其の名を武庫むこと号す。
   亀谷かめがいの山なり。
   これすなわち鎌倉中央第一の勝地と見えたり。今これらの山悉く倉庫の名有り。』
   
【註】詞林采葉抄しりんさいようしょう》;万葉集中の枕詞・地名・難語などを取り上げて、考証・解釈を加えた注釈書。

    作者は由阿ゆうあ(1291年〜?)、成立は跋文により、貞治5年(1366年)と推定されている。




「亀谷山」きこくさん  ・・・   ⇒ 《「吾妻鏡」の条 参照》



「旗立山」」はたたてやま(または「御旗山みはたやま)  ・・・ 《鎌倉名所記》等による
   永保3年(1083年)の「後三年の役」で八幡太郎義家が奥州の豪族安倍氏を攻める際、戦勝祈願に
   この山上に白旗を立てたことに由来するという。



源氏代々の邸宅跡
   源氏山の東側の麓は、源氏の代々の邸のあったある。
   源 頼朝公の父てある 義朝公もここに屋敷を構えており、、頼朝が始めて鎌倉入りした翌日の
   治承4ねん(1180年)10月7日、この邸跡に自分の屋敷、即ち幕府を定めようとした。
   しかし敷地が狭く、すでに義朝公の菩提を弔う堂宇が建てられていたことで、邸宅は大倉の地にした。
        ・・・    ⇒ 《「吾妻鏡」の条 参照》


   現在、この邸跡に北條政子創建の「寿福寺」が建っている。
  
『 鎌倉五山 第三位 寿福寺 』 の項を併せご覧戴きたい。