元弘三年(1333年)五月、新田義貞の軍が鎌倉に攻め入った時、北条宗時は、小町の邸宅を出て 祖父 代々の墓所である「東勝寺」に立て籠った 百五十年の間、賑わい極めた鎌倉の中にある邸宅や店は、すべて一面に焔の海となった。 北条高時は、この焔煙の渦巻く光景を望見しつつ、一族郎党 総勢 八百七十余人と共に、自刀した のであった。 其の北条氏 執権の終局の惨澹たる一駒は、此の地に於いて演じられたのである。 大正七年三月 建 鎌 倉 町 青 年 会 |
↑ 腹切やぐらー前面より撮影(1994年1月4日撮影) ↑ 腹切やぐらー内部より撮影(1994年1月4日撮影) |