下 馬 げば(geba-michi) の石碑文の説明


☆ 下 馬跡の石碑文はこの様に語り伝えております。・・・

   その昔、鶴岡八幡宮に参詣の武人達は、此の辺りで馬を下り、徒歩で参拝したと言う慣わしがあった。
   そのことで 下馬の地名が今も 此の地に残っている。

  此の下馬の地点は、鎌倉の道路のうち重要な位置にあって、数多くの戦場の巷となったことが、歴史書の中
  に見ることが出来る。

   尚、文永八年(1271年)九月十二日、日蓮上人が、名越の小さな庵から、竜ノ口の刑場に護送される途中
   鶴岡八幡宮に向かって、「八幡大菩薩神」 として法門をまもるために、霊験を顕し給えと大音声で
   祈願ったというのは、この下馬橋付近である と伝えられている。

         昭和十二年三月 建
                                          鎌 倉 青 年 団



【 鎌倉時代の風景・ 故事いろいろ 】



   二の鳥居の北と南では様子が違う。
   北側には幕府や北条得宗(時政)家・和田義盛・加藤景能・小山朝政・太宰権少弐景頼・工藤行家・
   中条家長の居館等が並でいた。
   南側の「下の下馬橋」には、歓楽街で好色家(妓楼)建ち並んでいた と言われている。

   此の下馬辺りでは、色々な事件もあつた。  ⇒ 《「吾妻鏡」のページをご覧下さい。》

【 故事について 】の出展;「      」(        編)による