元 八 幡にかんする『吾妻鏡』における記述・・・
《治承4年(1180年)10月7日 丙戌 》 の条
治承4年(1180年)10月7日 丙戌、まづ鶴岡八幡宮を遙拝したてまつりたまふ。…以下省略…
《治承4年(1180年)10月12日 辛卯 》 の条
治承4年(1180年)10月12日 辛卯 快晴。寅の剋
祖宗を崇めんがために、小林郷の北山を点じて宮廟を構へ、鶴岡宮をこの所に遷したてまつらる。
専光坊(良暹)をもってしばらく別当職となし、(大庭)景義をして宮寺の事を執行せしむ。…以下省略…
本社は後冷泉院の御宇、伊興守源朝臣頼義、勅定を奉りて安倍貞任を征伐するの時、丹祈の旨ありて、
康平六年秋八月、ひそはに石清水を勧請し、瑞籬を当国由比郷(今これを下若宮と号す)に建て、
永保元年二月、陸奥守同朝臣義家、修復を加ふ。
今また小林郷に遷したてまつり、蘋繁の禮尊《簡素な供物》を致すと云々。
|