『吾妻鏡』における 佐竹屋敷跡 (satake-yashiki-ato) の記述


佐 竹 氏 の 旗 紋 に か ん す る 『 吾 妻 鏡 』  に お け る 記 述 ・・・



 《文治5年 己酉(1189年)7月26日 甲申  》 の条 

宇都宮を立たしめ給うの処、佐竹の四郎 (義隆) 常陸の国より追って参加す。
而るに佐竹持たしむ所の旗は、無文の白旗なり。
二品これを咎めしめ給う。

御旗と等しかるべからざるが故なり。
仍って御扇(出月)を佐竹に賜い、旗上に付くべきの由仰せらる。
佐竹 御旨に随いこれを付く と。
 



《佐竹氏の家紋について》
 ⇒  佐竹氏の家紋について  (参照)
 ⇒  大阪城で発見された 佐 竹 氏 ・ 扇 月 丸 紋  (参照)