『吾妻鏡』における 稲瀬川 (inase-kawa) の記述


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『吾妻鏡』における 稲瀬川に関する記述・・・以下の8箇所に見られる。

T【治承4年10月11日の条】 …  政子 鎌倉に入る。
U【養和元年 7月21日の条】 …  
V【元暦元年 8月 8日の条】 …  
W【承久3年 5月21日の条】 …  
X【寛喜2年 2月30日の条】 …  
Y【嘉禎3年11月 7日の条】 …  
Z【建長4年11月23日の条】 …  


《 治承4年10月11日の条 乙酉》 の条
  『鶴岡の社頭より由比浦に至り、曲横を直して詣往道を造る。これ日来御素願を為すと
  雖も、自然日を渉る。而るに御台所御懐孕の御祈りに依って、故にこの儀を始めらる
  るなり。武衛手づからこれを沙汰せしめ給う。仍って北條殿以下、各々土石を運ばらると。』

《 養和元年 7月21日の条 乙酉》 の条
  『鶴岡の社頭より由比浦に至り、曲横を直して詣往道を造る。これ日来御素願を為すと
  雖も、自然日を渉る。而るに御台所御懐孕の御祈りに依って、故にこの儀を始めらる
  るなり。武衛手づからこれを沙汰せしめ給う。仍って北條殿以下、各々土石を運ばらると。』

《 元暦元年 8月 8日の条 乙酉》 の条
  『鶴岡の社頭より由比浦に至り、曲横を直して詣往道を造る。これ日来御素願を為すと
  雖も、自然日を渉る。而るに御台所御懐孕の御祈りに依って、故にこの儀を始めらる
  るなり。武衛手づからこれを沙汰せしめ給う。仍って北條殿以下、各々土石を運ばらると。』

《 承久3年 5月21日の条 乙酉》 の条
  『鶴岡の社頭より由比浦に至り、曲横を直して詣往道を造る。これ日来御素願を為すと
  雖も、自然日を渉る。而るに御台所御懐孕の御祈りに依って、故にこの儀を始めらる
  るなり。武衛手づからこれを沙汰せしめ給う。仍って北條殿以下、各々土石を運ばらると。』

《 寛喜2年 2月30日の条 乙酉》 の条
  『鶴岡の社頭より由比浦に至り、曲横を直して詣往道を造る。これ日来御素願を為すと
  雖も、自然日を渉る。而るに御台所御懐孕の御祈りに依って、故にこの儀を始めらる
  るなり。武衛手づからこれを沙汰せしめ給う。仍って北條殿以下、各々土石を運ばらると。』

《 嘉禎3年11月 7日の条 乙酉》 の条
  『鶴岡の社頭より由比浦に至り、曲横を直して詣往道を造る。これ日来御素願を為すと
  雖も、自然日を渉る。而るに御台所御懐孕の御祈りに依って、故にこの儀を始めらる
  るなり。武衛手づからこれを沙汰せしめ給う。仍って北條殿以下、各々土石を運ばらると。』

《 建長4年11月23日の条 乙酉》 の条
  『鶴岡の社頭より由比浦に至り、曲横を直して詣往道を造る。これ日来御素願を為すと
  雖も、自然日を渉る。而るに御台所御懐孕の御祈りに依って、故にこの儀を始めらる
  るなり。武衛手づからこれを沙汰せしめ給う。仍って北條殿以下、各々土石を運ばらると。』