極楽寺の東に熊野新宮がある。 これは当時広大な極楽寺の境内の中にあり、 文永6年(1269)に忍性により創建された鎮守社である。 八百屋の前の小道を東にはいり、五、六分歩くと、 熊野新宮がある。 極楽寺東側の道から、極楽寺の西の奥へ住宅街を暫く行くと西ケ谷に月影地蔵がある(元は月影ケ谷にあった) 月影地蔵の背後ある山の石段を登っていくと、やがて道は細くなるが、 この山の向こう側が月影ケ谷にあたる。山を隔てているが、直線距離では近い。 阿仏尼が住んだのは、この辺りであると考える。 「このうしろの山」という記述は、阿仏が住んでいた邸の背後に山があったことをしめしている。 山からの「聖福寺」と「今熊野」が展望だきたと言っている。「聖福寺」は現存しないが、「今熊野」 は極楽寺の東の熊野新宮の可能性が高い。 |
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極楽寺駅から江ノ島方面に向かい、二つ目の踏切際に「阿仏尼旧蹟」の石碑が建立されている。 この碑の建っているところは阿仏邸のあった処ではない。 道は先で二手に分かれていて、右のゆるやかな登り坂道を5分ほど行くと、小さな石段があり、山麓のやや高台にある 民家で道は行き止まりとなる。 その背後に小さな山があり、その山の向こう側が「月影地蔵」にあたる。 この辺り、地元の人は「月影谷戸」と呼んでいる。 月影谷戸に住む人の話では、この高台にある民家の庭には、阿仏尼の使ったという「井戸」があり、今は危倹なため 蓋がしてある と云う。また以前はこの民家の建物の向こう側、山際の崖下に「阿仏尼墓」とされる五輪塔があった が、崖の工事のため鎌倉市が撤去した という。 | |
《 田淵句美子氏著【十六夜日記(山川出版)】による 》 |