鎌 倉 の や ぐ ら 現 地 探 索 【 T 】
【 1 】 百 八 やぐら 群
昭和36年(年)、神奈川県指定史跡に指定。
鎌倉市ニ階堂の覚園寺は背後の山中に数段にわたり分布する。
鎌倉最大のやぐら群で、約150穴が確認されている。
法王の窟・団子窟(地蔵窟)・梵字窟・筥窟・五輪窟などがふる。
「百八やぐら」の名称は、明治末期に西国八十八カ所になぞられて弘法大師石像百八体を安置してからと伝えられる。
【 2 】 十 王 岩
西御門奥、天園ハイキングコース途中の山頂に所在する。
鎌倉八幡宮の真後ろに位置し、鎌倉市内を俯瞰出来る景勝地である。
かってはやぐら内の奥壁に刻まれた仏像であったが今はむき出しである。
中尊は血盆地蔵、向かって左・如意輪観音、右・閻魔王と云われている。
【 3 】
朱 垂 木
しゅだるき
やぐら 群
昭和40年(年)、鎌倉市史跡に指定。 国史跡建長寺境内に含まれている。
十王岩から尾根道を西御門の谷戸に降りた直下に位置する。「朱垂木やぐら」は複数のやぐらの内最大規模である。
名称の由来は
羨道
せんどう
の天井に「
弁柄
べんがら
」で描かれた50本の朱色の「
繁垂木
しげたるき
」による。
「弁柄」 : 酸化第二鉄を主成分とした赤色顔料で安価で着色力・耐久性が強い
「垂木」 ; 屋根裏の棟から軒先にわたす建築材で、屋根を支える構造的な役割とともに建物を見上げたときの装飾的意匠としても重要である。
このことからも この「やぐら」は、木造建築をイメージした仏堂(法華堂)であることを示唆している。
軒の左右への「そり」もその効果を高めている。
広い間口の羨道から
玄室
げんしつ
に入ると、奥壁正面に本尊を安置する台座と船形光背が浮き彫りされ、羨道の左壁には二基の
雲形位牌が浮き彫りにされている。
【 4 】 九つ やぐら群
昭和30年(年)、鎌倉市立第二中学校の生徒達によって発見された。
「九つやぐら群」は、「朱垂木やぐら」から少し谷戸に下ったところに位置する。
名称は、やぐらの数が「九つ」あることによる。
このやぐら群の特徴は、
@ 奥壁に線彫りの地蔵菩薩立像が刻まれている。 薬研彫りであるが秀作とはいえないが、鎌倉時代末期と推定。
A 玄室に一対の土葬した棺穴 (全長が人体そのまま埋葬可能な5尺2寸) がある。
・・・土葬した骨片が出土している。
B 天井に梵字(アーン、金剛阿弥陀仏)、羨道左壁に梵字(サク)が刻まれている。
C 奥壁や左右壁に位牌形が彫り込まれている。 ことである。
◇◇ や ぐ ら 案 内 図 ◇◇
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下図 ↓
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【 U 】 百 八 やぐら 分 布 図
百 八 や ぐ ら 分 布 図
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