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《円覚寺境内・建物等 案内図》
《現在の円覚寺境内・建物等 案内図》
《出展;新編鎌倉志 巻之三 第六冊》
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円覚寺の伽藍・塔頭

  創建当初は、宋の径山万寿寺けいざんまんじゅじの伽藍を写した禅宗伽藍(七堂伽藍)を備えていた。
  『扶桑五山記』にいう円覚寺の境致は「白鷺池 前面蓮池・華厳塔 在黄梅院・虎頭岩・六国見 主山・妙香池 
   正続院前・直指堂 法堂・ 法雲閣 山門闘・大光明宝殿 仏殿・宝冠釈迦・十二大王・平等軒方丈・偃松橋 
  ・妙荘厳域外門・今無・選仏場僧堂・正法眼堂」 となっている。
  1. 山門さんもん… 山門(三解脱門)は、天明5年(1785年)に誠拙周樗が再建した。楼上に十二面観音・十二神将・十六羅漢が祀られている。

  2. 仏殿ぶつでん… 弘安5年(1282年)開堂。寛永2年(1625年)天甫昌円が再建。関東大震災で倒壊後、昭和39年(1964年)再建された。

  3. 選仏場せんぶつどう… 永禄6年(1563年)12月大火で消失。元禄12年(1699年)伊勢長島城主松平忠充ただみつが江戸の月桂寺の碩週せきしゅうの薦めにより

  4. 大蔵経を寄付しこの経典収蔵と座禅道場を兼ねた選仏場を建設した。平成15年(2000年)に大慈大悲観音菩薩が安置された。

  5. 居士林こじりん (済蔭庵さいいんあん) 』… 円覚寺で明治の頃、在家の人の座禅(居士禅)が盛んになり、山岡鉄舟、鈴木大拙、夏目漱石が参禅した。

  6. 大正11年(1922年)座禅道場の居士林が開設。大正15年(1926年)消失。

    柳生流の柳生基夫(徹心居士)が剣道場を寄付、昭和3年(1928年)移設開単する。

  7. 方丈ほうじょう  』… 住職が居住する所を方丈という。現在は本山行事の中心的場所となつている。

  8. 震災後、昭和4年(1929年)に新築され、平成10年(1998年)に改修工事を行う。

  9. 舎利殿しゃりでん  』… 舎利殿に「佛牙舎利ぶつげしゃり」という釈迦の歯がまつられている。

  10. 源 実朝が、宋の能仁寺に使者を遣わして請来されて大慈寺に安置、後弘安8年(1285年)貞時が一門の守護を願って

    円覚寺に遷祀せんしるする。

     舎利殿は太平寺の仏殿を移築したもの。関東大震災で倒壊したが、昭和4年に復元した。

    内部正面に佛舎利を祀る宮殿が安置され、その前に鎌倉彫の須弥檀しゅみだんがあり、観音菩薩と地蔵菩薩が祀られている。

  11. 座禅堂ざぜんどう… 雲水の座禅道場。現在の禅堂は昭和5年(1930年)に新築された。

  12. 正続院しょうぞくいん… 無学祖元は最初建長寺に迎えられたが、円覚寺の開山となり後、示寂しじゃくする。。

  13. 卵塔は建長寺内に造られたが、建武2年(1335年)夢想礎石が此の地に移し正続院を開山国師の塔所とした。

    山号は「萬年山」・天明元年(1781年)誠拙周樗が> 正続院に現在の座禅道場を開単した。

  14. 洪鐘おおかね… 関東で最も大きい洪鐘。正安3年(1301年) 開基時宋の子貞時が、国家安泰を祈願して鋳物師・物部国光に命じた

  15. が、鋳造が上手く行かず、江ノ島の弁天様に7日間祈願した結果、白鷺池の底より竜頭の金銅を発見して鋳造して造った。

    貞時は、江ノ島の弁財天を洪鐘の神体として、「洪鐘大弁才功徳尊天」と名付けて、洪鐘の正面に弁天堂を建立した。

    洪鐘(総高259.5糎)、銘文撰者は西□子曇せいかんすどん。「喜捨助縁善信共壱千五百人/本寺僧弐佰五十員」とあり。

  16. 佛日庵ふつにちあん(開基廟) 』… 開基廟は佛日庵御霊屋みたまやと呼ばれ、北条時宗・貞時・高時がまつられている。

  17. 時宗は円覚寺建立の2年後・弘安7年(1284年)4月4日、出家して「法光寺道杲」と号し即日没した(34歳)、

    後に開基廟は建設された。

    現在の開基廟は江戸時代の文化8年(1811年)に改築されたものである。同時に三橋家によって三体の尊像が修理された。

    毎年4月4日に開基忌が営まれ、境内の烟足軒えんそくけん不顧庵ふこあんで茶会が開かれる。

    茶席は、川端康成の『千羽鶴』の舞台にもなった。。

     本堂 本尊「地蔵菩薩像」(鎌倉地蔵菩薩14番霊場・市指定文化財)と「中興開祖(鶴隠周音かくいんしゅうおん)像」が祀られている。

     開基廟には「十一面観音坐像」(百観音霊場4番・鎌倉観音霊場33番)が祀られている。

  18. 黄梅院おうばいいん… 覚山尼(時宗夫人)が時宗追善の為に華厳塔を建立。その敷地内に夢想国師の塔所として方外宏遠ほうがいこうえんが建立・開創した。

  19. 応安元年(1368年)、足利義詮あしかがよしあきら(室町幕府二代将軍) の遺骨を分骨され足利家の菩提所(伝衣山)としての性格を帯びている。

    本尊 「千手観音菩薩坐像」と外に「夢想国師坐像」、室町期の「千手観音菩薩坐像」(銅像)、「聖観世音菩薩立像」(木造)

    等が祀られている。

    黄梅院の創設の頃の姿を描いた「紙本着色華厳塔図」(重要文化財)(弟子の浄宇が京都の臨川寺三会院でかいたもの);黄梅院蔵 がある

  20. 続燈庵ぞくとうあん… 開基は今川範国いまがわのりくに大喜法忻だいきほうきんの開創。本尊 童女の容姿・艶かしい「聖観世音菩薩像」。

  21. 如意庵にょいあん… 応安3年(1370年)、無礙妙謙むげみょうけんの塔所とした開創された。

  22. 本尊 「宝冠釈迦如来」。平成2年、本堂改装。

  23. 正伝庵しょうでんあん… 明岩正因みょうがんしょういん(西□子曇の弟子)の塔所。現在の建物は昭和50年(1976年)に建立。

  24. 寿徳庵じゅとくあん… 月潭中円げったんちゅうえんの塔所。中興開基は三浦道寸。 本尊 「聖観世音菩薩坐像」と「中円坐像」。

  25. 寺には三浦一族の墓地と道寸の古太刀が伝蔵されている。

  26. 蔵六庵ぞうろくあん… 大休正念たいきゅうしょうねんの塔所。弘安6年(1283年)正念が寿福寺に開創したが、示寂後建武2年(1335年)に円覚寺境内に移設。

  27. 龍隠庵りゅういんあん… 大雅省音たいがしょういんの塔所として応永26年(1419年)長尾忠政の外護のもと芳隠省菊により開創された。。

  28. 松嶺院しょうれいいん… 永和元年(1375年)、大拙祖能だいせつそのうが開山。叔悦禅懌しゃくえつぜんえき奇文禅才きもんぜんさいが中興開山。現在の伽藍は平成16年(2004年)建立。

  29. 明治時代末期に 葛西善蔵が寄寓し、大正時代に有島武郎が寄宿して「或る女」を執筆した。

    田邉宋英・中山義秀・清水崑・池島信平・開高健・田中絹代・佐田啓二・坂本弁護士一家の墓所もある。

  30. 富陽庵ふようあん… 東岳文cとうがくもんいくの塔所。開基は上杉朝宗ともむね

  31. 伝宗庵でんしゅうあん… 南山士雲なんざんしうんの塔所。

  32. 白雲庵はくうんあん… 東明慧日とうみんえにちんの塔所。現在の本堂は、平成8年(1996年)に再建。

  33.  本尊 「宝冠釈迦如来坐像」(鎌倉市指定文化財)。木造「東明慧日坐像」室町期作 (国指定重要文化財)

  34. 雲頂庵うんちょうあん… > 空山円印くうざんえんいん(蘭渓道隆の法嗣)の塔所。

  35. 円印は関東十刹の長勝寺の開山で雲頂庵は長勝寺の開山塔であった。 長尾忠景と芳隠省菊によって再興された。

    本堂に室町時代の「宝冠釈迦如来像」と元禄6年(1693年)銘の「開祖木造」が安置されている。 また多数の中世古文書を蔵している。

  36. 桂昌庵けいしょうあん… 承先道欽しょうせんどうきんの塔所。

  37. 明治以後に宝鏡寺ほうきょうじから移された「矢柄やがら地蔵像」と「十王像」が祀られている。

  38. 帰源院きげいん… 傑翁是英けつおうぜえいの塔所。中興開祖は奇文禅才きもんぜんさい、中興開基は北條氏康うじやす

  39. 帰源院には明治26年(1893年)8月と10月に島崎藤村が滞在し『春』を、明治27年(1894年)の年末から正月にかけて

    夏目漱石が止宿し、参禅、其の体験が『門』に書かれている。漱石の句碑「仏性は白き桔梗にこそあらめ」が漱石の会により建立。

  40. 臥龍庵がりゅうあん… 大川道通おおかわどうつうの塔所。室町期の作「道通木造」が安置されている。



円覚寺の庭園

  「白鷺池びゃくろち」と「妙香池みょうこうち」がある。
  1. 白鷺池びゃくろち 庭 園 』

  2. 白鷺池と総門を横断する横須賀線は明治22年(1889年)6月の開通である。

    池は昭和37年(1962年)に整備改修された。

    池名の由来は開山が鎌倉に来た折、鶴岡八幡宮の神霊が白鷺と化して国師を案内し、この池の中に舞い降りたという説話

     《寛文12年(1672年)刊『鎌倉管領九代記』》により一般化された。

    「円覚寺境内絵図」を見る限り、池は当初から総門の外にあった事が確認出来る。池は完全な二つの正方形の池で

    「前面蓮池」と記されており、スイレンが群生した池が想像できる。

    当時「偃松橋」がかけられていた。「偃松橋」は現在「降魔橋」と呼ばれている。


  1. 妙香池みょうこうち庭 園 』

  2. 建武2年(1335年)の「円覚寺境内絵図」に見られるように、創建当初の放生池。平成12年(2000年)、江戸時代の絵図に基づき、

    対岸の岩盤を虎の頭に見立てて、「虎頭岩ごとうがん」と呼んでいる。

    開単以来一般の人が、雲水と同じように修業する座禅会を行ってきた。 本尊;不動明王・「頭燃を救うが如し」の扁額あり。