法 華 堂 跡 (holtuke-dou-ato) の 歴 史

法 華 堂 跡 の歴史

  1. 文治5年(1189年)


  2. 「聖観音」を本尊として頼朝の「持仏堂」として建てられた。

    頼朝の死後、「法華堂」と称されるようになった。(「墳墓堂」とも言われた。)



  3. 正治二年(1200年)正月十三日


  4. 『吾妻鏡』の 源 頼朝 一周忌の記事

    「頼朝の一周忌は「法華堂」で導師に栄西を招いて修された。

    北條時政以下の有力御家人が数多く集まって盛大であり、

    堂内には釈迦三尊の画像と平 政子の髪の毛で刺繍した阿字の軸が掛けられ、金字の法華経六部

    と五部大乗経が安置されたという。

    《「吾妻鏡」のページ》 をご覧下さい。


  5. 室町時代  …法華堂のことは未詳である。



  6. 安政八年(1779年)


  7. 現在の多層塔(供養塔)は、

    幕末の江戸の町医者 小 川 顕 道 の随筆集『 塵 塚 談 ちりつかだんによれば、安政八年(1779年)、

    25代薩摩藩主 島 津重 豪しげひでが建立した。


    鶴岡荘厳院の住持が安永年間(1772〜81)に勝長寿院にあったものを移設したとも言われている。【神仏分離史料】

          尚、現在の塔は、平成元年に心ない者に破壊され、相輪部分を修理復元した。)


    多宝塔以前は五 輪 塔であった と言う。

          (現在の多層塔の裏側にひっそりと置かれているのが以前の五輪塔であろうか?。)



  8. 江戸時代


  9. 八幡宮供僧坊(相承院)が法華堂を管理していた。

             『右大将家 法華堂別当、従古来兼帯仕候

                一 法華堂本尊、三尊阿弥陀像、

                                 台座より惣丈五尺五寸、定朝作

                  同観音勢至立像

                一 如意輪観音座像、

             右、大織冠末葉由井長者染屋太郎大夫時忠造立、西御門如意輪堂(報恩寺)ニ

             安置之所、堂破壊ニ付、法華堂ニ移申候、尤造立年歴相分リ不申候』

                                 《「相模国鎌倉鶴岡一山四箇所由緒写書上」の相承院の項 による》


     如意輪観音座像は報恩寺から同寺の破壊により法華堂に移されたが、明治初年の神仏分離に

       より西御門・「来迎寺」に移管された。現在 来迎寺で拝観する事が出来る。



     
     ← 如意輪観音座像(来迎寺蔵)


    「鎌倉で最も美しい仏像」と云われている。

       全体に福与かに表現され、 官能的である。
       観音像が手に持つ如意宝珠には、願いを
       叶える力があるとと 言われている。
       厄除と安産の守護尊としてのご利益がある。
     
        ・南北朝時代  ・寄木造り  ・玉眼嵌入
        ・像 高  97.5cm
          (衣文に鎌倉地方独特の「土紋装飾」がある)
          粘土、漆等を混ぜて型で抜き、刺繍の文様を
          立体的に表わす技法。
        ・神奈川県指定重要文化財


       「この像に纏わる伝承」

       由比の長者のひとり娘が浜で遊んでいる時
       大きな鷹にさらわれ死体て見つかった
        由比の長者が娘の死を悲しみ、
       その供養に屍を如意輪観音座像納めた、
       胎内にはその幼児のものと思われる
       遺骨が納められている。
       
       
     






  10. 明治43年(1910年)


  11. 鎌倉(文部省唱歌);芳賀矢一作詞において第7にて次の様に歌われている。

    『歴史は長き七百年 興亡すべて夢にして 英雄墓は苔むしぬ





  12. 平成1年(1989年)3月8日。

  13. 国指定史跡・源 頼朝公の墓、早朝何者かによって破壊された。

    笠石を五つ重ねたもののうち上三つが壊されたので、相輪を置いた層本来の形に復元した。


    ↓ 頼  朝  墓 ↓ 頼朝墓の裏側の五輪塔
    昭和60年(1985年)3月18日 撮影       

    ↓破壊された頼朝墓 ↓修復図 ↓修復後の頼朝墓
    平成1年(1989年)3月8日 撮影 平成2年(1990年)4月1日 撮影

    その修復後の頼朝墓の情景は スライドショーをご覧下さい。



  14. 平成24年(2012年)2月11日。

  15. 国指定史跡・源 頼朝公の墓、大和市の46歳無職の男性によって破壊された。

    石塔頭頂部の「相輪(65cm)が落とされた。また 墓地内の灯ろうも破壊された。


    ↓ 頼朝墓・前面 ↓ 頼朝墓を裏側よりみる
    平成24年(2012年)2月19日 撮影