法 華 堂 跡 (holtuke-dou-ato)

源 頼朝は大倉幕府跡の北方山腹に持仏堂として法華三味を修する「法華堂」を造った

その法華堂は頼朝の死後 墳墓堂となり、いまは、石の玉垣で囲まれた層塔の頼朝墓が建っている。

和田義盛ら一族が決起した和田の乱の際、御所に火が放たれ、実朝は御所を脱出しこの法華堂に逃れた、また

宝治合戦にて、三浦泰村以下三浦一族等500余名はこの法華堂の頼朝の御影の前で自刀して果て、三浦一族は滅亡した。




法 華 堂 境 内 図

法 華 堂 跡・絵図集

法 華 堂 跡の四季・スライドショー

『吾妻鏡』等 における記述

『源 頼朝の死』についての記述

年       表
法華堂跡
 碑 文 の 内 容 紹 介 
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