「太 平 寺 跡」は比丘尼寺(比企一族の尼寺)とし伝えられて来た。 頼朝が池の禅尼(平 清盛の継母)の旧恩に報いるために、禅尼の姪女の願いを聞き入れて その姪女を開山として此処に寺を建立したと言う。 足利時代になつて、関東管領・足利基氏の子孫にあたる「清渓尼」と言う者が此の寺を中興した、 天文年中に里見氏が鎌倉に攻め入った時、住職の尼岳尼を里見氏の本拠地・千葉県に略奪して いってしまったので、ついに寺は頽廃してしまった。 今の「高松寺」は、寛永年中(1624〜1644年)に、紀州徳川家の家老水野氏が、太平寺跡を 改修したものである。 昭和六年三月 建之 鎌 倉 町 青 年 団 |
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【この寺は源 頼朝が池禅尼の旧恩に報いるため、禅尼の姪の願いを聞きいれて建立したという伝説】 【鎌倉尼五山】 |
日蓮宗 西御門 小笠原谷
寿延山 高松寺は 三浦定環の女、水野監物忠元の室、高松院日仙の子の水野淡路守重良が
開山住持は重良の室 (高松院の女=慧雲院日照)の女、日隆である。
俗妹の日祐が二世住持となつた。 日祐は大町の常栄寺も創建した。
関東大震災で全壊し、菅原通済氏の常盤山文庫発行『一観音』によれば、