太 平 寺 跡 (taihei-ji-ato)
太平寺は
比丘寺
ひぎてら
(尼寺)として伝えられてきた寺で、鎌倉時代の尼五山(東慶寺・国恩寺・護法寺・禅明寺)の
筆頭に位していました。 山号を平安山と号した。
弘治2年(1556年)、里見義弘が鎌倉に攻め込んだ際、時の住職足利義明の女・青岳尼が安房に連れ去られ
たことによつて廃絶となる。
その後、江戸時代に高松寺として寺が建つが、これも廃絶され以後廃寺となる。
太平寺の本尊は東慶寺に蔵され、仏殿は円覚寺に移設され舎利殿(国宝)として現存している。
太平寺跡
(高松寺跡)
の指定地
来 迎 寺 の 四 季・スライドショー
年 表
里 見 氏 系 図
碑 文 の 内 容 紹 介
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