藤 谷 黄 門 遺 跡ふじや こうもの いせき (fugiya-koomon-iseki)

藤谷黄門遺跡「藤ケやつ」にあったと云う。

藤ケ谷(扇ガ谷二丁目所在)は、扇ケ谷(亀ケ谷)の支谷であり、浄光明寺のある泉ケ谷の北西隣、亀ケ谷切通の南の谷をさす。

藤原為相ためすけ(冷泉家の始祖)は定家の孫、母は「十六夜日記」の作者、阿仏尼あぶつにであるる

阿仏尼の死後、為相は鎌倉に下り、この辺りに為相の亭が在ったことから「藤ガ谷殿」と称された。




藤谷黄門遺跡の四季・スライドショー

浄光明寺敷地絵図

『 冷 泉 為 相 の 供 養 塔 』現況写真

『 網 引 地 蔵 』現況写真
藤谷黄門遺跡
 碑 文 の 内 容 紹 介 
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